ガチ体験ネタ

独立して個人事業主になったので半生を振り返る記事

ノビタ

こんにちは。ついに脱サラしたノビタ(@nobita0926)です。

タイトルの通りですが、会社員を辞めて専業の個人事業主になりました!
ただでさえゴチャゴチャな経歴の私ですが、また一つ職務経歴書を書く際に面倒くさくなったわけです。

社会保険証とも一旦お別れ…。
近い将来、今度は自分の法人名で再び手に入れます。

独立した今、休んだら休んだ分だけ自分の生活に跳ね返りが来るようになりました。

しかし、私のやってる仕事はアフィリエイトやブログだけというわけではありません。

ブログやアフィリエイトをやる前からECサイトを運営したり、Amazonなどに出店したりしています。
なので、これからはEC事業+WEBメディア運営と言うスタイルになることでしょう。

MEMO
2018年1月現在ではEC事業を縮小しています。
アフィリエイトが8割くらいです。

今までだったら…

今までのノビタ

アフィリエイトは副業だから…

などと言っていられましたが、もうそんなこと言えません。

独立したノビタ

Amazonもアフィもブログも全部お仕事や!
会社はもう存在しない!甘えていられん!

自営業となった今では全てが専業という気持ちでいく所存です。

ちなみに、不定期に行っている「ブログ収益報告」ですが、これはブログから発生した収益のみを報告していく予定です。

Amazonや他の副業の収益は含めません。
ほかのアフィリエイトサイトの収益も含めません。

純粋に、【このブログの収益】を報告していくことにします。

なので(今後やる予定もありませんが)、例えば何かしらのコンサルティング料ですとか、その他の業務委託で稼いだ金銭等は含めず、ピュアなブログ収益だけ報告していきます。

注意
すっかり収益報告をしなくなりましたが、2018年1月時点でアフィリエイトの最高確定収益は80万円ほどです。
現在はブログは放置し、複数のミニサイトをメインに運営しています。
ブログ更新…努力します。。

今日はせっかくの人生のターニングポイントなので、これまでの人生を振り返りつつ今後の展望や、独立に至った動機を書こうと思います。

これまでのノビタの人生

せっかくなので、ブロガーの自己紹介でもしばしば見かけるアルバム形式で半生を振り返ってみます。

どんな感じの子供だったか、どんな感じの人間だったか、をなるべく細かく思い出しながら書いています。

記憶の垂れ流しでとても冗長ですが、ノビタにご興味のある方はどうぞお付き合いください。

※この記事を作るにあたり、写真探しに最も時間かかってしまいましたw

小学生:友達100人期

間違いなく人生で1番幸福だった時期です。

バブル絶頂期からバブル崩壊までを小学生の間に経験しました。

一般サラリーマン家庭にも関わらず、バブルのノリで私立の小学校に通っていました。

高学年に差し掛かる前にはバブルが弾けて転校する生徒も何名かいましたが、ノビタ家は納豆ご飯とモヤシ炒めでなんとか乗り越えました。

そんな理由から、ゲームが大好きなのにゲームを買ってもらえない子供時代をずっと送ることになります。
(高校卒業までずっと学費貧乏でしたw)

ノビタ

ゲーム機本体を持ってないのに何故かゲームソフトだけクリスマスに貰った思い出もあるよ!

そんな理由から毎日色々な友達の家をハシゴしてゲームをしていました。
スーファミの初代ドラゴンクエストVは友達の家に通いつめて全クリしたくらいです。

また、当時は初代『プロアクションリプレイ』が出た頃でもあります。
初代ポケモンが発売されて割とスグの頃です。

MEMO
プロアクションリプレイは、改造コード度呼ばれるものでゲームのセーブデータを書き換える代物です。

当時はインターネットはもちろん、スマホやケータイを誰も使っていない時代です。
こんな商品どこで見つけたのかも分かりませんが、街のゲーム屋でたまたま見つけたのを覚えています。

ギークなものに興味を示したのはこれが初めてかも知れません。

ポケモンのステータスを最大値の999にする改造コードなどが、よく雑誌の付録になったりしていました。

  • 改造コードの例
    こうげき 999 : 02001A2F4:03E7
    ぼうぎょ 999 : 0100B22C2:03E7
    とくしゅ 999 : 00004D241:03E7

こんな感じのやつです。
当然ですが最大値の999にすると強すぎるので相手に一瞬でバレます。

友達より強いポケモンが欲しい、おもちゃ屋のポケモン大会などで勝ちたい、そんな思いからなんとか任意の数値に書き換えられないかを考えてました。

付録の改造コードを眺めているとあることに気が付きました。

こうげき 999 : 02001A2F4:03E7
ぼうぎょ 999 : 0100B22C2:03E7
とくしゅ 999 : 00004D241:03E7

ノビタ

あっ!絶対この部分が『999』の場所じゃん!

付録には、”改造コードは16進数で作られている” と書かれていました。

脳内回想…

 

(16進数…?)

(2進数は塾で習ったけど…)

(16まで数えたら桁が1つ上がるってこと???)

(でも数字は0〜9までしかないし……)

(あっ!!アルファベットを使ってる!!…そうか!!)

 

脳内回想終わり

ここまで閃いたらあとは早かったです。

実際に『03E7』の部分を適当な数字に書き換えながら16進数を覚えました。

そして最終的に、ステータスを1〜999の好きな数値に変えられるように、手書きの16進数変換表を作りました。

これをコピーして友達とシェアしてクラスの神様になったことが強く記憶に残っています。

思い出の10進数→16進数変換表。今でも実家の勉強机に入ったままです。

その表を基に、 “攻撃力:583” などにして、最強のポッポを作って街のおもちゃ屋のトーナメントに出たりして、商品のミニ四駆を貰ったりしてました。

改造データが行けないとされる風習もありませんでしたし、ルールとして禁止ということもない時代の悪知恵です。

今でこそ簡単に『セーブデータを書き換える』方法は溢れていますが、1996年当時は誰も知りませんでした。

今考えるとインターネットもない時代によく辿り着けたなと思いますが、子供の遊びに対するエネルギーとはスゴイものです。

毎日とにかく遊びに本気でした。
何でもトコトン極めるまで遊び倒していました。

そんな小学生時代でした。

小学生の頃のまなび・きづき
  1. どんなものでも頑張れば理解することができる
  2. 不景気になると世の中がどうなるかを知る
  3. 『つうしん たいきちゅう』の時にケーブルを引っこ抜くとポケモンが増殖する

 

中学生:イケイケ期

中学受験を終えてから勉強は一切せず部活に精を出しました。
というかまともに学業を勉強したのは人生でも小学校6年生時の1年間だけでした。

進学先は大学付属の男子校だったので運動部が盛んなこともあり、1番ハードなやつに入ろうと思い『水球』を始めました。

ノビタ

マゾじゃないけど、このころは肉体的にハードなことが大好きだったよ!

「プールに入れる!」というだけで中学1年生が大量に入部(40名ほど)してくるのですが、いきなり2m20cmの水深のプールに入れられて2時間以上泳ぎっぱなしにされるので、みんなゲロを吐いて辞めていきました。

1ヶ月もしない内に部員が9名ほどになりましたが、残った人間は誰も辞めませんでした。

なぜなら練習について行けるようになり、苦しくなくなるからです。
4時間くらいは足がつかない場で練習していても余裕になりました。

自分自身に目に見えて結果が出ると続けられると言うのは、何事でも同じですね。

ただ、練習は毎日あって自由はあまりなかったです。

そのおかげもあって、毎年ジュニアオリンピックに出場したりと良い思い出が出来ました。

これは関東大会のときの思い出です

この頃は自分がやった努力が全て結果で帰ってきていたので、とにかく自信に溢れていたイケイケ期と言えるでしょう。

中学生の頃の学び・気付き
  1. 努力が実を結ぶと人は自信に満ち溢れる
  2. 自信を持つと態度や行動が変わる

高校生:根暗期、暗黒面への突入

イケイケ期から一転、一気に根暗になります。
付き合う友達も代わり殆どいなくなりました。

きっかけは部活をやめた中3のときです。

私が親友だと思っていた友人が “ノビタにいじめられている” と回りに相談していたことを偶然知ったのがキッカケです。

これにショックを受けたことが原因で中3で部活を辞めてしまい、自分の発言や行動が怖くなり人とうまく話せなくなりました。

ノビタ

当時はガラスのハートでした

友人だと思っていた子とはほぼ毎日一緒に下校し、相手の家にも遊びに行って親とも仲良くさせてもらっていましたし、相手の家で夕飯もご馳走になったりしていたので、ワケが分からなくなってパニックになったのを思い出します。

ともかくこれが原因で人と接するのが怖くなり、人との距離感を異常なほど気にするようになりました。

イケイケだった人間が急に大人しくなり喋らなくなったので、イジメの対象にもなりました。

全くの無関係の人間に後ろから野球の硬球を投げつけられたり、図書館で背の高さ以上ある本棚で本を探していたら本棚ごと倒されたりと、よくあるイジメも受けました。

本当に学校に行きたくなくなりましたが、家族も含めて誰にも相談できませんでした。

どんどん自分が後ろ向きになり毎日気力もなくなっていくのを感じたので、なにか1つ目標を決めることにしたんです。

目標は『意地でも皆勤賞を取る!』というものにしました。
そうすることで、自分をイジメた人間に対しての勝利になる気がしたからです。

ここからひたすら空気になることを決意して根暗期に突入です。

根暗故に毎日ガラケー(J-PHONE)をいじってはネットを楽しんでいました。

ノビタ

『前略プロフィール』とか『魔法のiらんど』とか、涙がでるほど懐かしいサービスをたくさん利用していたよ!

ちなみに、この時初めてHTMLに出会いました。
パソコンなんて持っていなかったので、ガラケーのメール機能でHTMLをポチポチと書いていました。

『魔法のiらんど』で掲示板を作ったり、着メロサイトを作ったりもしました。
アフィリエイトという言葉もこの頃に知り、1ヶ月ほど打ち込んだ記憶もあります。

自作自演のクリックをするだけで報酬もガンガン増えました。(2001年頃)
しかし単純な自作自演すぎてペナルティで確定時に0円になりましたw

 

そして程なくしてパケ死を迎えます。

 

最大容量のメール(HTMLをメール送信してサイトを更新してた)や、大量の着メロのダウンロードのせいで 7万円近い請求が来たんです。

勿論払うことができず、親に借金をしました。

手元からケータイが消え、時給780円の地下労働施設マクドナルドでの強制労働が始まります。

当時、自分の命だったケータイを取り戻すための労働ゆえに、めっちゃが頑張りました。

そのかいもあり、気が付いたらAJCC(オール・ジャパン・クルー・コンテスト)という、マクドナルドのスキルを競い合う大会に出場していました。

無事に地元エリアで優勝を果たし全国大会まで行くことになりました。
※全国大会では優勝できませんでしたが最年少出場だったので、社内広報誌の『Smile』に取り上げられました笑

中学・高校と内容は違うけれど全国大会というものに出られたのは良い思い出となりました。

アルバイトのおかげで対人恐怖症的なものも大きく緩和され、卒業する頃には根暗も少し抜けていました。

おかげで新しい友達も出来ます。

卒業式後、最後の制服の瞬間

高校生の頃の学び・気付き
  1. イジメなど、疎外されると人はどんどん気力を削り取られる
  2. 目標があればつらい状況でも頑張ることが出来る
  3. 中高6カ年皆勤賞は大変
  4. 校庭で遊んでいた後輩がNEWSの手越祐也くんだった
    (大分経ってから同じ学校だったいうことに気が付きました)

浪人:腐敗期

大学付属の高校に行ったにも関わらず、国立大に行きたくて浪人をしてしまいました。

両親は大激怒でした。

この頃は人生で最も腐っていた1年間だと思います。

予備校に行くつもりで家を出発するも、予備校には行かずに山手線を何周もしたり、地元の電車に乗っては始発駅⇔終着駅を何往復もしたりしていました。

とにかく気力がわかずに何もしていませんでした。
人生で最も非生産的で腐っていたと思います。

6カ年皆勤賞を達成して卒業してから、とにかく無気力でした。

「国立大に行きたい」という目標も口に出していましたが、本気で目指していなかったんだと思います。

だって本気で目指していたら、それを実現するまでに至るプロセスって率先的に調べたり行動したりするはずですからね。

ノビタ

自分が本当にやりたいこと、目標が全く分からなかったよ。

そして人間は一度怠け癖が付くと行くところまで行ってしまう様です。

結局何をするでもなく浪人生活は終わり、国立大の受験は失敗。
単科大学の私大(情報工学部)に入りました。

この大学に入った理由は国立大受験が失敗に終わり、3月の最後の入試をこの大学だけがやっていたから、という理由だけです。

学部を情報工学部にした理由も、『そういえば昔はギークなことして遊んでたな〜』という理由だけです。

MEMO
この頃はもう一家に一台のパソコンとADSL回線が当たり前になっている時期でした。
そんなIT革命を過ぎた時代に、私はケータイもパソコンも持っていなかったのです。
浪人時の頃の学び・気付き
  1. 怠け癖が付くと人は抜け出せない
  2. 本当にやりたい目標が無く生きているのはゾンビと同じ

大学生:パソコン楽しい期

大学は殆ど授業に出ませんでした。

当然です、やりたいことがあって入学した大学ではないのですから…

出席が必須でどうしても行かなくてはいけない授業のみ出席し、他の授業は全く出ずにテストだけ受けるという不真面目な学生でした。

登校しなかったのはやりたい事がなかったのも理由の1つですが、1番の理由はインターネットの楽しさです。

パソコンやインターネットを自由にできる環境を初めて手に入れた私は、

 

インターネット楽しい!パソコン楽しい!!!みんなこんな楽しいことしてたの!?

 

と言う感じで、毎日引きこもってはネットに夢中でした。

オンラインゲームを始め、面白Flashやニコニコ動画にFPSゲーム、、何もない平日は毎日12時間以上は間違いなくパソコンに触れていたと思います。

むさぼるようにコンテンツを片っ端から楽しんでいました。
そのうちに、だんだん自分でも作りたい欲求が出て来はじめ、Adobe関連のソフトを自然に覚えていきました。

ショートムービーを作ってみたり、フォトレタッチをしてみたり、、
学友を題材にして色々とクリエイティブに遊んでいたと思います。

Photoshopが楽しい!と思えば…

友人にライトセーバーを持たせてみたり、、、

Flashムービーが面白い!と思えば…

Flashムービーを作ってみたり、クリエイティブ系のソフトで学生時代は色々遊びました。

Flashに関しては当時の『ゼクシィ』のトップページにあるバナーを自分が作ったりしていまいた。
(友達のお姉さんがゼクシィで働いていてお仕事を紹介してもらいました)

他にもライトセーバーで友人同士が戦う動画なども作ったりと、かなりAdobeソフトにお世話になっていた頃です。
(ライトセーバーの動画は1フレームずつライトセーバーをプロットし、1分の動画を作るのに丸1日掛かったりしましたw)

そんな当時のパソコン環境をmixiで探してみました。
こんな感じだったみたいです。

2008年12月…約8年前ですね。

スクエア型のモニタを片方使っているあたりに時代を感じますw

また、大学1年生の頃は短期間ですがカナダのバンクーバーに留学もしてみました。

留学した理由は単純で、英語が出来なさすぎたからです。

受験時は偏差値40代とかを叩き出したこともあります(恥)
会話一切できない、英語も読めないレベルでした。

だからこそ無理やり英語だけの環境に行って強制力を働かせようと、突然思い立って奨学金を使って行ってきましたw

帰国後はTOEICが700点近いのスコアだったので、人並み程度くらいには英語力が付いた気はします。
(数年前に英語しかしゃべれない彼女ができましたが何とかなりました…)

大学の授業には殆ど出ませんでしたが(主にインターネットで)色々な付き合いがあり、多くのことを経験できてとても楽しい大学生活でした。

大学生の頃の学び・気付き
  1. インターネット()に強くなった
  2. ITリテラシーのベースを養った
  3. Adobeを始め有名ソフト全般の操作を覚えた
  4. ネットコンテンツは勉強すれば大抵のものは誰でも作れる

社会人1年目:起業期

そんな好き勝手していた大学生の私は、4年次に大学を中退しました。

理由は、「どうせ自分で会社持つし卒業まで待てない!スグにでもバリバリ働きたい!」と言う気持ちからです。

知り合いといっしょにWEB制作会社をやっていました。
名前だけですが代表取締役も務めていました。

スカイツリーを眺めながら仕事をしていました。

オフィスは東京の東の方です。
始めの頃はホストやキャバクラ関係のポータルサイトを作り、お店のプロモーションビデオや求人情報などを載せたポータルサイトを運営していました。

今の時代はもう動画コンテンツは当たり前ですが、この頃はWEBサイト+動画コンテンツという組み合わせは皆無の時代です。

それもあって、このサイトは刺さりまくりでした。

サイトにホストクラブのお店のページを作り、プロモーション動画も作り、夜になったら店に飛び込み営業を掛けてました。

お店に乗り込み、「月○○円でこういうの作りまっせ!」と売り込んで即決済…みたいなことを従業員同士でしていました。

これでセコセコ稼いでいましたが、他社にスグに目をつけられます。

WEBサイト作りも動画コンテンツもドンドン競争が激しくなってくるわけです。

ブルーオーシャンだったものもあっという間にレッドオーシャンへと変わり、価格競争が始まりました。

そんなこともあり当時はストレスでフリスクを食べまくっていたのを思い出します。

休む間もなく働いており、寝ていても電話が鳴れば飛び起きてタクシーで現場に駆けつけたりもしていました。

働き始めて依頼、まともな終日休みも作れておらず、『このままでは死ぬ!』と肉体の限界が近づいてきます。。

そこで会社のメイン事業をEC事業に切り替えます。

幸い社員に高く売れるものを安く仕入れられるルートを持っている人物が居たので、みんなでそれを売ることになりました。

売るものは決まってサイトも用意したので、次に出てくる問題は集客です。

この時初めてSEOに出会いました。まだGoogleとYahoo!のアルゴリズムが統合される前です。

当時のSEOは単純なもので、Yahoo!に関しては被リンクをたくさん貼るだけで順位が上がる!と言われているくらいのシンプルなものでした。

検索エンジンも殆どの人がYahooばかり使うような時代だったので、SEO会社と契約をし予算をぶっこんで主要キーワードを1位にしました。

効果はすごいもので、あっという間に週間売上で数100万円という規模になりました。

月間売上ではありません、1週間です。

もちろん純粋な物販なので利益とはまた別ですが、今までのWEB制作事業と比べると恐ろしいほど簡単に沢山稼げました。

会社の事業は満場一致でこのビジネスに全力投球することになりました。(死亡フラグ)

『もう死ぬ!』と、少し前まで思っていたにも関わらず、稼げたことにより更に休みは無くなり、ずっと働き詰めでしたw

儲かることにより事務所近くに借りた1Kのマンションの家電類だけが充実していきましたw
ほとんど使うこともなく寝るだけの部屋でしたが…

このあと清々しいくらいに気持ちの良い、絵に描いたような転落が待ち受けてるとはこの時はまだ知りませんでした…。

社会に出てからの学び・気付き
  1. ビッグキーワードでSEO1位の威力は破壊的なレベルですごい集客効果
  2. しかし、SEOのみに依存したビジネスモデルはさけるべき

社会人4年目:廃業からのベンチャーで超激務期

記憶に懐かしい事件で、Yahoo!の検索アルゴリズムがGoogle基準に統合されたのはもう6年ほど前になります。

この変化により自社で保有するECサイトは全て圏外になりました。

大量に発注した商品や、大量に投資したお金が回らず数ヶ月、事業撤退を決意します。

従業員と代表取締役という肩書ではありましたが、実質ほとんど同僚みたいなものだったので、誰も責め合うというようなことはありませんでした。

ただシワ寄せのほとんどすべてを私が請け負うことになり、かなりの負債を抱えることになりました。

その後、会社をたたんだ私は転職をします。これが人生初の就活となります。

この時に作成した履歴書の写真がよくネタにされますw
代表取締役時代でピリピリしていた頃に撮ったものです。

そもそも履歴書で黒シャツってのがどうかしてる

人間、ストレス抱えていると顔に出るのかもしれませんね…(;´_`)

こんな履歴書でしたが、とにかく元気のあるWEBコンサル系ITベンチャー企業に内定をもらうことが出来ました。

ちなみにこの会社、かなりの長時間労働でした。。

朝8時に営業会議に出席からの、9時始業〜26時退社で週に2〜3回はその後軽く飲みに行くという感じです。

職場近くで27時過ぎくらいまでよく飲んでました

もちろんみんな電車では帰れません。
タクシーで帰るか、会社から徒歩圏内に住んでいる人がほとんどでした。

早く帰る人でも終電というレベルです。
それでもみんな同じ方向を見て和気あいあいとやっていましたし、嫌な人も居なかったのでみんなで励まし合いながら2年ちょっと働いていました。

ちなみに土日はほぼ休みでしたが、月に1回位土曜日は出社の必要がありました。
※一応、労働体系のみブラックでブラックな人格の社員は居なかったということを付け加えておきますw

『限界は突然に』突然の事故で記憶喪失

どんなに精神的にはついて行けていても、肉体はブラック労働環境について行け無かった様で、私は突然事故に合ってしまい、前後数日間の記憶がまるまる吹っ飛びました。

当時のFacebookやLINEの履歴を見ると、数分おきに記憶が飛んでSNSに何度も何度も同じことを投稿していたのですが、それを丸々全く覚えていないのでまるで他人事みたいですw

事故った直後から何度も会社に向けて安否情報を投稿している社畜っぷりでした…w(記憶が無いですが)

そんな事故から記憶障害が収まった後の懐かしいFacebookはコチラ

事故の原因は前後数日の記憶が無いので何も分かりません。

救急車を呼んでくれた同僚が言うには、自損事故だったそうで詳細は分かりませんが、バイクで鉄柱に頭から突っ込んでいたそうです。

酒気帯び運転もノーヘル運転も一切しない私なので、本当に何があったのか分かりません。

ただ、歩行者などを巻き込まなかったことだけが不幸中の幸いでした。

そんな事故にもめげず社畜精神バリバリだった私は、この事故がきっかけで上司とのイザコザが耐えなくなって逃げるように会社を辞めました。

社会人4年目の学び・気付き
  1. メーカーサイドのSEO/WEBコンサルティングを一線で学べた
  2. 商用サイトで毎日10,000キーワードほどのGRC変動をチェックできた
    (グラフで今後の動きや手動or自動ペナ等が直感的に分かるようになった)
  3. 業務として、多くの商用サイトに様々なSEO施策を試す経験ができた
  4. 自分が消耗しておらず、成長を確実にできているのならば激務も有り
  5. いのちだいじに(命は1つ、1回のみです)

社会人6年目:ニート期

前職で人間関係に疲れてしまい、ネットでお小遣い稼ぎ的なことばかりしていました。
人気のオンラインゲームのRMTやヤフオク転売などです。

また、このときに今も続く趣味の『テキサスホールデム』という、世界で最も人気のあるポーカーを覚えた時期でもありました。

今もテキサスホールデムの大会にしばしば出場してます

ポーカーの全国大会(AJPC 2016)に帝国兵が参加してきた!

テキサスホールデムを覚えた記念に韓国に行ったら大勝ちしたのもいい思い出です。

5万円が60万円になりました。

この頃は運だけで生きていたように思えます。

しかし、良いことがあったら悪いことがあるのも世の中の仕組みなようです。

増えたチップを換金する際に、私はエスカレーターから滑落してしまいました。

そして異国で靭帯を損傷し、しばらく歩けなくなりました。

気持ちのぶつけどころが分からないままソウル市内で歩けない私

「希望と絶望のバランスは差し引きゼロ」って誰か言ってたっけ…。

ニート時代の学び・気付き
  1. 良いことが起こった時ほど気を引き締める必要がある

社会人7年目:風俗奴隷期

ここはもう単独で独立記事を書いたくらいなので省略しますw

ネオホームレス普通の男が風俗店で働いてホームレスになった挙句 ホワイト企業に転職したお話

よく見たらブログ運営を初めて2日目に書いた記事で読みづらくて仕方ありません。

うーん、そのうちリライトしよ…。

風俗奴隷時代の学び・気付き
  1. ここの世界にはまともな人間は愚か、普通の人すら居ない
  2. 朝起きて夜寝なければ、徐々に自律神経が蝕まれていく
  3. 風俗嬢の年齢はサイト表記24歳くらいが一番信用ならない

社会人8年目:ホワイト企業期

紆余曲折あり、2年ほど前につい最近まで在籍していた職場と出会いました。

港区の某駅から徒歩1分のオシャレな会社で、最終的にWEBマーケティングのマネージャーを務めさせてもらいました。

この会社に入るのはとても大変でした。
夜の世界にいながらの就職活動ですから…。

1ヶ月近くかけて履歴書・職務経歴書を風俗店業務のスキマ時間を使ってかきあげました。

ちなみにこの書類はこの企業のためだけに作成したものです。
狙っていた会社に刺さることだけを考えて作りました。

そのかいもあって、高卒(大学中退)でしたが無事に書類審査は通過しました。

あとは夜の仕事を終えてから徹夜で面接に行き、面接が終わったらそのまま寝ずに出勤…
というのを4回ほど繰り返し、無事に内定をもらえましたw

採用枠2名に対して60人ほど応募があり、実際に採用されたのは私だけだったのを就職してから知らされたのでホッとしました。

この仕事に就いてからは残業も飲み会もなく、毎日きっかり10時〜19時というワークスタイルでした。

たくさん遊んで副業も始めた

今までお店が開いてる時間に仕事が終わらなかったり、仕事の後のアフターを楽しめる環境に居なかったので、ホワイトな仕事になってからは友達とたくさん遊びました!

前々から興味があったサバゲーを始めてみたり…

※パンダが私です。

深夜のジョイポリスで貸し切りのオールナイトサバゲイベントで悪ふざけしてみたり…

深夜のお台場ジョイポリスで300人と撃ち合う「ELECTRIC GUN(エレクトリックガン)」に参加してきたお話

また、この頃に副業でコスメ系のECサイトを立ち上げました。
商品を増やすために、化粧品の展示会に個人事業主として名刺を作って参加し、ルートもコネもゼロの状態から卸契約を結びに行ったりもしました。

ホワイトになってからは仕事以外のたくさんの時間があったので、まるで白黒だった人生がカラーになったかのように充実していたと思います。

これまで仕事のせいでスケジュールが合わず出ることができなかった、『友人の結婚式』という人生初のイベントにも出ることが出来ましたw

ストレスだらけの頃の写真と比べると顔が全然違います…w

ホワイト会社員の頃の学び・気付き
  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 残業がないだけで人生色々なことが出来る
    • 有給を本当に取ることができた
    • 余裕が生まれると人は性格も顔も丸くなる

社会人10年目:個人事業主として独立期 ←Now!

そして現在に至ります。

この項目は2017年の総まとめとして年末に書きます。

記事を書いたらここからリンクにさせますw

独立しようと思った動機

これまでの振り返りが長くなってしまいました。

独立の動機は幾つかあるので挙げていきたいと思います。

毎日決められた場所で決められた時間を働くのが嫌だった

これはシンプルです。

『働きたくない』という気持ちより、『〜しなきゃいけない』みたいなルールや体制がとても苦手でした。

これは会社だけではなくて学校でもそうです。

誤解が生まれないように言うと、世の中に不満があるとかではなくて、私がそういう性質という話です。

自分が好きな時に仕事や勉強なりを好きなだけしたいという思いが人一倍な性格ということです。

収入が青天井になる

会社員をしながらでもドンドン伸ばしていける人は伸ばしていけるのでしょう。

ですが私はワーキングメモリーが人より少ないので、あまりマルチにやりすぎると全体のパフォーマンスが下がるタイプです。

会社員+アフィリエイト+EC事業だけで脳内メモリーが真っ赤でしたw

収入をグンと伸ばしていくことを前提とした時に、この3つの中で一番伸びしろがあるのがアフィリエイトです。

理由としてはバブルが来ている業界という以外にも、私自身が長くWEB業界に居た知見を活かせるだろうという部分です。

そのためワラジを1つ捨て、アフィリエイトに注力するためにホワイト会社員を辞めたという決断があります。

社会組織で自分のやり方や考えを通すのは大変

また、私は社内折衝がとても苦手です。

ズバリ行ってしまえば、冒頭の方でもお伝えした中3の頃のトラウマから、人との距離感が上手く保てません。

また、自分は超が付くほどの感覚で把握するタイプの人間なことも起因します。

頭のなかには感覚的に、「こうしたら良い」などとプランがあっても、それを口頭で上手く伝えることが出来ないのです。
練りに練って台本や資料を作ればプレゼンや提案とかはできますが…

そういった部分で何かプロジェクト等があるたびにチーム内での折衝や連携に異常に気を使ってしまい、精神的に疲弊したりしてモチベーションが低下したりしていました。

責任ある立場になるとこういったことが頻繁に起こる様になってきた、というのも独立したいと思ったキッカケと言えます。

自分が持っている『モノ』で力試しをしたかった

まとめると、

まとめ
  1. 決まった場所で、決まった時間を働きたくない
  2. 自分が収入を1番伸ばせる事業に力を入れたい
  3. 上から下から突かれる仕事をしたくない(自分だけの仕事をしたい)
というのが、独立に至った大きな理由です。

 

もはや退路を断った状態なので後は進むのみです。

 

これまでの人生、部活も、留学も、仕事も、自ら自分を追い込んでセルフケツ叩きをしてなんとか結果を出してきました。
自分自身がケツを叩かないとパフォーマンスを発揮しにくい人間だというのを、自分自身で理解しているのもあります。

この個人事業という働き方は、誰にも、何も言われません。

仕事の評価もされなければ、ダメ出しもされません。

全て自分の中の納得と満足を追い求めていくことになります。

ケツを叩いてくれる人間もいません。
常に自分自身の弱さと戦う必要があります。

今後はそんな世界で生きていくので、しっかり結果を出すんだと決意しました。

Googleのアップデートや広告ポリシーの頻繁な更新、薬事法規制…
多くの部分でデリケートになりつつあるアフィリエイト業界です。

しかし今後、大きく成長して生き残ってみせます!

1万文字を大きく超えてしまったので、3月度の収益報告はまた後日…w

ノビタ

以上、ノビタ(@nobita0926)でした。