さようなら会社員、こんにちは国民保険!独立して個人事業主になりました!改めて半生を振り返る自己紹介的なモノ

ノビタ
こんにちは。ついに脱サラしたノビタ(@nobita0926)です。

タイトルの通りですが、会社員を辞めて専業の個人事業主になりました!
(とは言え、回りのスゴイ方々と比べるとブログやアフィリエイトで文句なく稼いでるようなレベルではございません。)

ただでさえゴチャゴチャな経歴な私なので、これでまた一つ職務経歴書を書く際に面倒くさくなったわけです。

社会保険証とも一旦お別れ…。 近い将来、今度は自分の法人名で手に入れてやる。。

そして今日からは休んだら休んだ分だけ自分の生活に跳ね返りが来るようになりました。

ただ専業になった私ですが、アフィリエイトやブログ一本というわけではありません。

元々、ECサイトや大手ショッピングサイトのプラットフォームに出店をしているため、これからはEC事業+アフィリエイトメディアの運営と言う事業スタイルになります。
かといって今までの様に「アフィリエイトは兼業だから…」というスタイルではなく、自営業となった今は全てが専業という気持ちでいく所存です。

ですが、月次の「ブログ収益報告」では飽くまでアフィリエイトメディアやブログなどから発生した収益のみを報告していこうと思います。

もちろんECサイトなど他のお仕事でも所得を得てはいますが、そういったものはこのブログのレポートでは報告していきません。

なので(今後の予定も一切ありませんが)、例えば何かしらのコンサルティング料ですとか、その他の業務委託で発生した金銭等は含めず、ピュアなアフィリエイト収益だけ報告していきます。

今日はせっかくの人生のターニングポイントなので、これまでの人生を簡単に振り返りつつ今後の展望や、独立に至った動機を書いてみようと思います。

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これまでのノビタの人生

いい機会なので自己紹介でよく見かけるアルバム形式で振り返ってみようと思います。
この記事を作るのに写真探しが一番時間かかってしまいました…苦笑

小学生:友達100人期

間違いなく人生で1番幸福だった時期です。

小学校高学年の頃にはバブルが弾けていましたが、みんなお構いなしに仲良しでした。

ゲームが大好きなのにゲームを買ってもらえない家庭だったので、人一倍ゲームに貪欲で飢えていた記憶があります。

毎日色々な友達の家をハシゴしてゲームをしていました。
スーファミの初代ドラゴンクエストVは友達の家に通いつめて全クリした思い出があります。

また、当時は初代の『プロアクションリプレイ』が出た頃でもあります。初代ポケモンが出て割とスグです。

ステータス999とかにする改造コードが雑誌などに付いていたのですが、999にするとイカサマがバレて大会に出られませんでした。

ですが小学生は悪知恵が働くもので、当時の私は改造コードでステータスが999となっている部分を探し書き換えることを考えました。

結果、ステータスを1〜999の好きな数値に変えられるように、手書きの16進数変換表を作って友達にコピーを回しワイワイやっていたのが凄く強く記憶に残っています。

思い出の10進数→16進数変換表

その表を基に数値を583など、現実的?に強い数値に変え、最強のポッポを作って街の大会に出たりしてました。

今考えるとインターネットもない時代によく辿り着けたなと思いますが、子供の遊びに対するエネルギーとはスゴイものです笑

とにかく毎日がキラキラしていて、遊びに一切の妥協がない時期だった気がします。

余談ですが、この頃に感じていた季節独特の匂いとかって、なんだか今じゃあまり感じなくなりました。
これがオッサンになったということなのかもしれません…。

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 大人は我が子にほど嘘をつく
    • 急に転校する友達が増えたのはバブルが弾けたせいだったと大人になってから気付いた
    • n進数を覚えた
    • 『つうしん たいきちゅう』の時にケーブルを引っこ抜くとポケモンが増殖する

中学生:イケイケ期

中学受験を終えて、勉強は一切やらず部活に精を出しました。

中高一貫、大学付属の男子校だったので運動部が盛んなこともあり、1番ハードなやつに入ろうと思い『水球』を始めました。

「プールに入れる!」というだけで中学1年生が大量に入部(40名ほど)してくるのですが、いきなり2m20cmの水深のプールに入れられ2時間以上泳ぎっぱなしなので、みんなゲロを吐いて辞めていきました。

1ヶ月もしない内に部員が9名ほどになりますが、ここを超えたら殆どみんな辞めません。

ゲロを吐くほど苦労したら、4時間位は足がつかない場で練習していても全然余裕になるんです。

自分自身に目に見えて結果が出ると続けられるってのはなんでも同じですね。
毎年ジュニアオリンピックに出ていたので良い思い出が出来ました。

これは関東大会のときの思い出です

自分がやった努力が全て結果で帰ってきていたので、とにかく自信に溢れていたイケイケ期でした。

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 努力が実を結ぶと人は自信に満ち溢れる
    • 365日休みなくトレーニングをすれば(水球なら)全国大会で活躍できる

高校生:根暗期

イケイケ期から一転、一気に根暗になります。友達も殆どいなくなりました。

きっかけは中3のときで、自分が親友だと思っていた友人が “自分にいじめられている” と回りに相談していたことを知ったのがキッカケです。
これが原因で中3で部活をやめました。

毎日一緒に帰り、相手の家にも遊びに行って親とも仲良くさせてもらっていましたし、家で夕飯もご馳走になったりしていたので、当時は本当に心外でした。

とにかくこれが原因で人と接するのが怖くなり、人との距離感を異常なほど気にするようになりました。
本当に学校に行きたくなくなりましたが、意地でも皆勤賞を取る!と心に決めていたため、空気になることを決意して根暗期に突入です。

根暗故に毎日ガラケー(J-PHONE)をいじってはネットを楽しんでいました。
この時にHTMLを覚え、ガラケーでポチポチと手書きでHTMLを書いていました。

『魔法のiらんど』というCMSで掲示板を作ったり、着メロサイトを作ったりしてアフィリエイトという言葉を知り、1ヶ月ほど嗜んだ記憶があります。

ですが、パケ死によりケータイが手元から消えて、時給780円の地下労働施設マクドナルドで強制労働が始まります。

命がかかった労働ゆえに頑張ったかいもあり、気が付いたらAJCC(オール・ジャパン・クルー・コンテスト)という、マクドナルドのスキルを競い合う大会でエリアで優勝をして全国大会に出ました。
※全国大会では優勝できませんでしたが最年少出場だったので、社内広報誌の『Smile』に取り上げられました笑

中学・高校と、形は違うけれど全国大会というくくりに出られたのは良い思い出でした。

お陰で卒業する頃には根暗も少し抜け、新しい友達も出来ました。

卒業式後、最後の制服の瞬間

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 世の中やりたいことやるのに沢山お金が掛かる
    • 中高6カ年皆勤賞は本当に大変だった
    • 校庭で遊んでいた後輩がNEWSの手越祐也くんだった
      (大分経ってから同じ学校だったいうことに気が付きました)

浪人:腐敗期

大学付属の高校に行ったにも関わらず国立大に行きたくてフラフラと浪人をしていました。

この頃は人生で最も腐っていたと思います。

予備校に行く振りをして山手線を何周もしたり、地元の電車に乗っては始発駅⇔終着駅を何往復もしたり、とにかく何もしておらず、人生で最も非生産的で腐っていたと思います。

理由は予備校に馴染めなかったからです。

6カ年皆勤賞を達成しておきながら、ここに来て人との付き合い方がよくわからない病が急に再発します。

人間は一度怠け癖が付くと行くところまで行ってしまう様です。

結局何をするでもなく浪人生活は終わり、単科大学の私大(情報工学部)に入りました。

この学部にした理由は、『そういえば昔ネットとかパソコン好きでよくやってたな〜』という理由だけです。

ADSL全盛期を過ぎた時代に私はまだケータイもパソコンも持っていなかったのですw

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 人間は怠け癖が付くと抜け出せない(思い出すだけで恐ろしい)
    • やるべきことがある人間が、やらないのは最悪(私のこと)

大学生:パソコン楽しい期

大学は殆ど授業に出ませんでした。

出席が必須でどうしても行かなくてはいけない授業のみ出席し、他の授業は全く出ずにテストだけ受けるという不真面目な学生でした。

というのも、インターネット楽しい!パソコン楽しい!!!みんなこんな楽しいことしてたの!?と言う感じで、毎日引きこもってそれらのことに熱中していたことが原因ですw

オンラインゲームを始め、面白Flashやニコニコ動画にFPSゲーム、、何もない平日は毎日12時間以上は間違いなくパソコンに触れていたと思います。

むさぼるようにコンテンツを片っ端から楽しんでいました。
そのうちに、だんだん自分でも作りたい欲求が出て来はじめ、Adobe関連のソフトを自然に覚えていきました。

大体それらの矛先は学友に向きました。
Photoshopが楽しい!と思えば…

友人にライトセーバーを持たせてみたり、、、

Flashムービーが面白い!と思えば…

Flashムービーを作ってみたり、クリエイティブ系のソフトで学生時代は色々遊びました。

Flashに関しては当時の『ゼクシィ』のトップページにあるバナーを自分が作ったりしていまいた。

他にライトセーバーで友人同士が戦う動画なども作ったりと、かなりAdobeソフトにはお世話になった頃です。
(ライトセーバーの動画は1フレームずつライトセーバーをプロットし、1分の動画を作るのに丸1日掛かったりしましたw)

そんな当時のパソコン環境をmixiで探してみました。
こんな感じだったみたいです。

2008年12月…約8年前ですね。

スクエア型のモニタを片方使っているあたりに時代を感じますw

また、1年生の頃は短期間ですがカナダのバンクーバーに留学もしてみました。

留学した理由は単純で、英語が出来なさすぎたからです。

受験時は偏差値40代とかを叩き出したこともあります(恥)
一切会話ができないレベルでした。

だからこそ無理やり英語だけの環境に行って強制力を働かせようと、突然思い立って奨学金を使って行ってきましたw

帰国後はTOEICが700点ほどのスコアだったので、人並み程度くらいには英語力が付いた気はします。
(数年前に英語しかしゃべれない彼女ができましたが何とかなりました…)

大学の授業には殆ど出ませんでしたが(主にインターネットで)色々な付き合いがあり、多くのことを経験できてとても楽しい大学生活でした。

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • インターネットって素晴らしい
    • 基本的なITリテラシー全般
    • Adobe系ソフト全般の基本的な扱い方
    • ITコンテンツはやろうと思えば大抵なんでも作れるもんだ

社会人1年目:起業期

そんな好き勝手していた大学生の私は、突然大学を中退しました。

理由は、「どうせ自分で会社持つし卒業まで待てない!スグにでも働きたい!」と言う気持ちからです。

知り合いとともにWEB制作会社を起ち上げ、(ほぼ名前だけですが)代表取締役を務めていました。

スカイツリーを眺めながら仕事をしていました。

オフィスは東京の東の方に借り、創業当初はホストやキャバクラ関係のポータルサイトを作り、そこに各店のPVなどを作って営業をかけていました。

当時はホームページやサイトで動画コンテンツなどは皆無の時代です。

これが刺さりまくりで、オフィスでサイトを作り、勝手に動画も作り、夜になったら店に飛び込み営業を掛けて「月○○円でこういうの作りまっせ!」と売り込んで即決済、みたいなことをしていました。

これでセコセコ稼いでいましたが、WEBサイト作りも動画コンテンツもドンドン競争が激しくなってくるわけです。

ブルーオーシャンは目をつけられ、あっという間にレッドオーシャンへと変わり、価格競争が始まりました。

従業員にお給料も払わなければ行けないですし、ストレスでフリスクを食べまくっていました。

会社に住んでいるような形で働いていたので、寝ていても電話が鳴れば飛び起きて歌舞伎町にタクシーで駆けつけたりもしていました。

休みも創業以来、終日休みは1日も作れておらず、『このままでは死ぬ!』と焦りと疲れの限界が来ていました。

そこで会社のメイン事業をEC事業に切り替えます。

幸い社員に高く売れるものを安く仕入れられるルートを持っている人物が居たので、みんなでそれを売ることになりました。

売るものは決まってサイトも用意したので、次に出てくる問題は集客です。

この時初めてSEOに出会いました。まだGoogleとYahoo!のアルゴリズムが統合される前です。

当時のSEOは単純なもので、Yahoo!に関しては被リンクをたくさん貼るだけで順位が上がる!と言われているくらいのシンプルなものでした。

検索エンジンも殆どの人がYahooばかり使うような時代だったので、SEO会社と契約をし予算をぶっこんで主要キーワードを1位にしました。

効果はすごいもので、あっという間に週間売上で数100万円という規模になりました。

月間売上ではありません、1週間です。

もちろん純粋な物販なので利益とはまた別ですが、今までのWEB制作事業と比べると恐ろしいほど簡単に沢山稼げました。

会社の事業は満場一致でこのビジネスに全力投球することになりました。(死亡フラグ)

『もう死ぬ!』と、少し前まで思っていたにも関わらず、稼げたことにより更に休みは無くなり、ずっと働き詰めでしたw

儲かることにより事務所近くに借りた1Kのマンションの家電類だけが充実していきましたw
ほとんど使うこともなく寝るだけの部屋でしたが…

このあと清々しいくらいに気持ちの良い、絵に描いたような転落が待ち受けてるとはこの時はまだ知りませんでした…。

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • ビッグキーワードでSEO1位の威力は破壊的なレベルですごい
    • SEOのみに依存したビジネスモデルはリスクヘッジをしなくてはいけない

社会人4年目:廃業からのベンチャーで超激務期

記憶に懐かしい事件で、Yahoo!の検索アルゴリズムがGoogle基準に統合されたのはもう6年ほど前になります。

この変化により自社で保有するECサイトは全て圏外になりました。

大量に発注した商品や、大量に投資したお金が回らず数ヶ月、事業撤退を決意します。

従業員と代表取締役という肩書ではありましたが、実質ほとんど同僚みたいなものだったので、誰も責め合うというようなことはありませんでした。

ただシワ寄せのほとんどすべてを私が請け負うことになり、かなりの負債を抱えることになりました。

その後、会社をたたんだ私は転職をします。これが人生初の就活となります。

この時に作成した履歴書の写真がよくネタにされますw
代表取締役時代でピリピリしていた頃に撮ったものです。

そもそも履歴書で黒シャツってのがどうかしてる

人間、ストレス抱えていると顔に出るのかもしれませんね…(;´_`)

こんな履歴書でしたが、とにかく元気のあるWEBコンサル系ITベンチャー企業に内定をもらうことが出来ました。

ちなみにこの会社、かなりの長時間労働でした。。

朝8時に営業会議に出席からの、9時始業〜26時退社で週に2〜3回はその後軽く飲みに行くという感じです。

職場近くで27時過ぎくらいまでよく飲んでました

もちろんみんな電車では帰れません。
タクシーで帰るか、会社から徒歩圏内に住んでいる人がほとんどでした。

早く帰る人でも終電というレベルです。
それでもみんな同じ方向を見て和気あいあいとやっていましたし、嫌な人も居なかったのでみんなで励まし合いながら2年ちょっと働いていました。

ちなみに土日はほぼ休みでしたが、月に1回位土曜日は出社の必要がありました。
※一応、労働体系のみブラックでブラックな人格の社員は居なかったということを付け加えておきますw

『限界は突然に』突然の事故で記憶喪失

どんなに精神的にはついて行けていても、肉体はブラック労働環境について行け無かった様で、私は突然事故に合ってしまい、前後数日間の記憶がまるまる吹っ飛びました。

当時のFacebookやLINEの履歴を見ると、数分おきに記憶が飛んでSNSに何度も何度も同じことを投稿していたのですが、それを丸々全く覚えていないのでまるで他人事みたいですw

事故った直後から何度も会社に向けて安否情報を投稿している社畜っぷりでした…w(記憶が無いですが)

そんな事故から記憶障害が収まった後の懐かしいFacebookはコチラ

事故の原因は前後数日の記憶が無いので何も分かりません。

救急車を呼んでくれた同僚が言うには、自損事故だったそうで詳細は分かりませんが、バイクで鉄柱に頭から突っ込んでいたそうです。

酒気帯び運転もノーヘル運転も一切しない私なので、本当に何があったのか分かりません。

ただ、歩行者などを巻き込まなかったことだけが不幸中の幸いでした。

そんな事故にもめげず社畜精神バリバリだった私は、この事故がきっかけで上司とのイザコザが耐えなくなって逃げるように会社を辞めました。

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • ベンダー系のSEO/WEBコンサルタントとして一線で仕事できた
    • 商用サイトで毎日10,000キーワード近くのGRC変動をチェックできた
      (グラフで今後の動きや手動or自動ペナ等が直感的に分かるようになった)
    • 多くの商用サイトに様々なSEO施策を試せた
    • 労働で “歯車” になってはいけない
    • 人生を犠牲にして働いた先に、代え難い得るものがあるなら激務も有り
    • いのちだいじに(命は1つ、1回のみです)

社会人6年目:ニート期

前職で人間関係に疲れてしまい、ネットのお小遣い稼ぎ的なことをしていました。

具体的には流行していたオンラインゲームのRMTとか、ヤフオクとかの程度のものです。

特にこれといったことはありませんが、今も続く趣味の『テキサスホールデム』という、世界で最も人気のある競技ポーカーを覚えた時期でもありました。

今もテキサスホールデムの大会にしばしば出場してます

ポーカーの全国大会(AJPC 2016)に帝国兵が参加してきた!

2016.09.09

テキサスホールデムのルールを覚えた記念に韓国に行ったら大勝ちしたのもいい思い出です。

5万円が60万円になりました。

ただ、良いことがあったら悪いことがあるのも世の中のルールのようです。

この増えたチップを換金する際にエスカレーターから滑落し、異国でまさかの靭帯を損傷しました。。

気持ちのぶつけどころが分からないままソウル市内で歩けない私

「希望と絶望のバランスは差し引きゼロ」って誰か言ってたっけ…。

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 良いことがあると悪いことが起こる星の下に生まれているかも

社会人7年目:風俗期

ここはもう単独で独立記事を書いたくらいなので省略しますw

普通の男が風俗店で働いてホームレスになった挙句 ホワイト企業に転職したお話

2016.05.27

よく見たらブログ運営を初めて2日目に書いた記事でした。
うーん、リライトしよ…。

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 人間は朝起きて、夜寝るように身体が作られている
      (自律神経イカれました)
    • 風俗嬢の実年齢はサイト表記24歳くらいが一番信用ならない

社会人8年目:ホワイト企業期

紆余曲折あり、2年ほど前につい最近まで在籍していた職場と出会いました。

夜の世界にいながらの就職面接だったので、夜の仕事を終えてから寝ずに面接に行き、面接が終わったらそのまま寝ずに出勤…というのを4回ほど繰り返して内定をもらえましたw

この仕事に就いてから、残業も飲み会もなく、毎日きっかり10時〜19時というワークスタイルでした。

たくさん遊んで副業も始めた

今までお店がやってる時間に仕事が終わらなかったり、仕事の後のアフターを楽しめる環境に居なかったので、ホワイトな仕事になってからは友達とたくさん遊びました!

サバゲーを始めてみたり…

※パンダが私です。

深夜のジョイポリスで貸し切りのオールナイトサバゲイベントで悪ふざけしてみたり…

深夜のお台場ジョイポリスで300人と撃ち合う「ELECTRIC GUN(エレクトリックガン)」に参加してきたお話

2016.06.02

また、この頃に副業でコスメ系のECサイトを立ち上げました。
商品を増やすために、化粧品の展示会に個人事業主として名刺を作って参加し、ルートもコネもゼロの状態から卸契約を結びに行ったりもしました。

ホワイトになってからは仕事以外のたくさんの時間があったので、まるで白黒だった人生がカラーになったかのように充実していたと思います。

これまで仕事のせいでスケジュールが合わず出ることができなかった、『友人の結婚式』という人生初のイベントにも出ることが出来ましたw

ストレスだらけの頃の写真と比べると顔が全然違いますw

  • この時期の気付き、身に付いたこと。
    • 残業がないだけで人生色々なことが出来る
    • 有給を本当に取ることができた
    • 余裕が生まれると人は性格も顔も丸くなる

社会人10年目:個人事業主として独立期 ←Now!

そして現在に至ります。

この項目は2017年の総まとめとして年末に書きます。

記事を書いたらここからリンクにさせますw

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独立しようと思った動機

これまでの振り返りが長くなってしまいました。

独立の動機は幾つかあるので挙げていきたいと思います。

毎日決められた場所で決められた時間を働くのが嫌だった

これはシンプルです。

『働きたくない』という気持ちより、『〜しなきゃいけない』みたいなルールや体制がとても苦手でした。

これは会社だけではなくて学校でもそうです。

誤解が生まれないように言うと、世の中に不満があるとかではなくて、私がそういう性質という話です。

自分が好きな時に仕事や勉強なりを好きなだけしたいという思いが人一倍な性格ということです。

収入が青天井になる

会社員をしながらでもドンドン伸ばしていける人は伸ばしていけるのでしょう。

ですが私はワーキングメモリーが人より少ないので、あまりマルチにやりすぎると全体のパフォーマンスが下がるタイプです。

会社員+アフィリエイト+EC事業だけで脳内メモリーが真っ赤でしたw

収入をグンと伸ばしていくことを前提とした時に、この3つの中で一番伸びしろがあるのがアフィリエイトです。

理由としてはバブルが来ている業界という以外にも、私自身が長くWEB業界に居た知見を活かせるだろうという部分です。

そのためワラジを1つ捨て、アフィリエイトに注力するためにホワイト会社員を辞めたという決断があります。

社会組織で自分のやり方や考えを通すのは大変

また、私は社内折衝がとても苦手です。

ズバリ行ってしまえば、冒頭の方でもお伝えした中3の頃のトラウマから、人との距離感が上手く保てません。

また、自分は超が付くほどの感覚で把握するタイプの人間なことも起因します。

頭のなかには感覚的に、「こうしたら良い」などとプランがあっても、それを口頭で上手く伝えることが出来ないのです。
練りに練って台本や資料を作ればプレゼンや提案とかはできますが…

そういった部分で何かプロジェクト等があるたびにチーム内での折衝や連携に異常に気を使ってしまい、精神的に疲弊したりしてモチベーションが低下したりしていました。

責任ある立場になるとこういったことが頻繁に起こる様になってきた、というのも独立したいと思ったキッカケと言えます。

自分が持っている『モノ』で力試しをしたかった

まとめると、

  • 決まった場所で、決まった時間を働きたくない
  • 自分が収入を1番伸ばせる青天井な事業に力を入れたい
  • 中間管理職がとても苦手
というのが、独立に至った主な経緯です。

もはや退路を断った状態なので後は進むのみです。

部活も、留学も、仕事も、自ら自分を追い込んでセルフケツ叩きをしてなんとか結果を出してきました。

この個人事業という選択でもしっかり結果を出していきます。

Googleのアップデートや広告ポリシーの頻繁な更新、薬事法規制…
多くの部分でデリケートになりつつあるアフィリエイト業界ですが、2017年大きく成長して生き残ってみせます!

1万文字弱になってしまったので、3月度の収益報告はまた後日します…w

ノビタ
以上、ノビタ(@nobita0926)でした。